東埼玉バプテスト教会




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永遠を見つめて歩む



永遠に目を向ける時、私たちの人生は安定します。逆に、目先のことだけを見ていると、私たちは絶えず一喜一憂していなければならず、道を間違えます。
以前、甲子園球場で、ホームベースからファースト、セカンド、サード、そしてまたホームベースへとラインを引く仕事をしている人の話しを読んだことがあります。その人は「自分の足もとを見ていたら、まっすぐなラインを引くことができない。遠くにあるポールを見ているとまっすぐなラインを引くことができる」と言っていました。

イエスさまの弟子たちがガリラヤ湖で嵐に遇った時、イエスが水の上を歩いて、弟子たちの船に近づいてこられたことがありました。それを見た時、弟子たちは「幽霊だ」とおびえてしまったのですが、ペテロは勇敢にも「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願い出て、ペテロも水の上を歩いて、イエスさまの方に向かったのです。しかしほどなくして、ペテロは沈み、おぼれかけました。なぜでしょうか。それはペテロが「風を見て恐ろしくなり」とマタイ14:30は言っています。ペテロは、まっすぐにイエスさまを見つめていなければならなかったのに、風を見て、また自分の足もとを見て、さらには波立つ湖面を見たために沈んでしまったのです。

旧約聖書の時代のクリスチャンたちは、地上のものではなく、天にあるものを見つめ、待ち望んでいました。聖書は「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである」(ヘブル11:16)と言っています。

さらには使徒パウロが、Tコリント15:58で「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と教えているのも、実は、復活について論じた後でした。キリストがもう一度来て下さり、永遠の国を打ち立てて下さる時、復活されたキリストと結び合わされた私たちも復活して栄光の中に入るのです。この地上でキリストを信じる者は、永遠の状態を既に保証されているのです。だからパウロは、この地上で「堅く立って動かされず」歩むようにと、勧めているのです。パウロはUコリント4:16-18でこうも言っています。「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」。

私たちも、目先のことに心奪われることなく、もっと遠くを、永遠を見つめようではありませんか。今日のこの日の歩みが永遠につながっているのだということを思って、一日一日の歩みを大切にしていきましょう。