東埼玉バプテスト教会




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何を恐れるか



「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」(箴言29:25)

同志社大学心理学部の中谷内一也教授の研究グループは、マスク着用がどのような心理的要因と結びついているのかを分析するために、新型コロナ感染が拡大しつつあった今年の3月下旬に全国調査を実施しました。年齢や居住地などの構成が日本の縮図となるよう1000人を選び、マスク着用の理由や頻度を回答してもらったそうです。
先日、その結果が公表されました。それによると、人々のマスク着用の理由は断トツで「人が着けているから」。次に「不安の緩和」。「自分の感染防止」や「他人の感染防止」はごく少数だったそうです。
つまり、他の着用者を見てそれに同調しようとする傾向と強く結びついており、一方、本来の目的であるはずの、自分や他者への感染防止の思いとは弱い関連しかないことが判ったということです。人の目を気にしてのマスク着用ということで、「他人の顔を見ながら自分の行動を決める」という、私たち日本人の特性を垣間見る結果でした。

その「人の目が気になって、どうしても周囲に合わせてしまう」という特性・傾向を、公共性の高さと言い換える方もいらっしゃいますが、果たしてそうでしょうか。スイスの法学者であり哲学者であるヒルティは、現代人が苦難を恐れる原因についてこう言いました。「現代人の苦難恐怖症は主なる神を信じないことが一番の原因だ。神を恐れない心は、自ずと世に対する恐れで満たされるから、当然のことだ」。主なる神のみを恐れて、全てにおいて神に頼れば、世の中において何も恐れることはないということです。しかし神を恐れず、自分の欲のままに生きれば、世の中の全てのことについて恐れるようになります。神学者ベンゲルも次のように述べました。「神だけを恐れる人は、神以外に関しては少しも恐れない。しかし神を恐れない人は、神以外の全てのことを恐れる」。さらにはアウグスティヌスも「何よりも神を恐れなさい。そうすれば人は少しも恐ろしくない」と勧めています。

どんな権力と威嚇の前にあっても、ただ神だけを恐れていれば、その偉大な神が私たちを心にかけて下さいます。神が私たちの側に立って下さるならば、誰も、いかなる物も、どんな出来事も、私たちに手をかけることはできません。