東埼玉バプテスト教会




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君は誰の子どもだい?




しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」(ヨハネ1:12-13)

「神の子となる力」は別の聖書では「神の子どもとされる特権」と訳されています。私たちが神の子とされるのはまさに「特権」です。王さまや国家元首に対しては、誰もが簡単に話しかけたり、近づいたりすることができるわけではありません。彼らは公私問わずいつも、厳重に警護されています。しかし王や首相の子どもであれば、「お父さん」と呼んでその膝の上に飛んで行って、抱かれることができます。同様に、王の王、主の主である神に、私たち被造物、罪人は簡単に近づくことはできません。

しかしイエス・キリストによって神の子どもの身分を与えられるなら、その人は神の子ども、天の王の王子であり、王女です。いつでも、どんな場合でも、神を「父」と呼んで、近づき、助けを願い、導きを求めることができるのです。あなたはこの特権をすでに得ているでしょうか。そしてそれを活用しているでしょうか。

ベン・ホッパーはテネシー東部の丘のふもとの町で生まれました。ベンの母親は結婚せずに彼を産みました。シングル・マザーが今以上に生きにくい時代のことです。他の親たちは、自分の子どもを未婚の母の子どもと遊ばせないようにしました。
ベンが大きくなるにつれて、他の子どもはベンに「お前の父さんは誰なんだ」とからかいました。ベンは孤独でした。それは自分の身を護るための方法でもありました。
ベンが12歳になった夏のこと、新しい牧師が町にやって来ました。ベンはこの若い牧師についてとても良い評判を聴きました。この牧師は誰に対しても、その人が神に愛されていることを感じさせてくれるというのです。
ベンはそれまで一度も教会に行ったことがありませんでしたが、ある日曜日、教会に行って、その牧師から話を聞こうと思い立ちました。ベンは礼拝開始後に教会堂に入って後ろの席にそっと座り、礼拝が終わらないうちに帰宅しました。
週を重ねるにつれ、世を救うために、ひとりの御子をお遣わしになった、愛の神について聞くことに、ベンは心惹かれていきました。6回目の日曜日のメッセージにベンは心がいっぱいになり、早く帰るのを忘れてしまいました。礼拝が終わると皆がベンの周りに集まり、ベンはそこから抜け出せなくなりました。やっとの思いで抜け出そうとしている時、誰かがベンの肩に手を置きました。振り返って、見上げてみると、新しい牧師がにっこり笑っていました。牧師はベンが一番聞きたくない質問をしました。「君は誰の子どもだい?」
皆が静かになりました。ベンは皆の目が自分に向けられているのを感じて心が沈みました。ベンは思いました。「この人も、そうじゃなかった。この牧師は違うと思っていた。僕はどうやってここから抜け出せるんだろうか。」ベンが何かを言おうとした時、その牧師はにっこり笑って、「君が誰の子どもか知ってるよ。家族もみんなここにいるじゃないか。君は神の子どもだよ。」牧師はベンの背中をトントンと叩いて言いました。「君は神から大きな資産を受け継いでいるんだよ。さあ、行って、それにふさわしい生活をしなさい。」
その日からベンの生涯は変わりました。テネシーの町の小さな田舎の教会で、彼はキリストを信じる決心をしました。後に、彼はテネシー州の知事になり、2期務めました。彼は「父なし子」ではありませんでした。彼は天の父の子どもでした。

ベン・ホッパーのように、自分がキリストにあって神の子どもであることを知るなら、私たちの人生は変わるのです。父である神に、子どものような信頼を寄せることができる時、必ず、父なる神の愛と力が私たちの人生に染み渡ってきます。