東埼玉バプテスト教会




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『 難有 』



「あなたがたは、この世ではなやみがある。


しかし、勇気を出しなさい。


わたしはすでに世に勝っている。」


                                              ヨハネ16:33


 北海道家庭学校は北海道紋別郡遠軽町留岡にある男子児童自立支援施設(かつての教護院)です。今は開校時に比べると半分ぐらいになったそうですが、広さが130万坪、山全体がその学校なのですが、これを創設したのは、1914年、留岡幸助という一人の牧師です。非行少年たちを立ち直らせるためには、大自然の中で労働させ、家庭的な雰囲気の中で生活できるよう環境を整え、美味しいものをお腹いっぱい食べさせ、そして聖書を教える、それしかないという信仰によって始めた学校です。現在の自立支援ホームや依存症更生施設の、一つの原型になっている学校です。
 その創設者・留岡幸助の座右の銘が「一路白頭ニ到ル」です。愚かだとか時代遅れだとか、他人に言われても、自分が信じた道を白髪の頭になるまで貫くという意味で、この言葉がそのまま書名になっている留岡幸助の伝記が岩波新書から出ています。また留岡幸助の生涯があの山田火砂子監督(荻野吟子の映画の監督)によって「大地の詩」として映画化されています。映画で主演を務め留岡幸助を演じた村上弘明さんは留岡幸助の生き方に強い影響を受け、村上さんも「一路白頭ニ到ル」が座右の銘になったそうで、「一路白頭ニ到ル」ような生き方が自分にできるか、今も語りかけられているとのことです。
 北海道家庭学校のチャペルの正面に掛かっている一枚の額に(右から左に読んで)「難有」と書かれています。この出典は冒頭の聖句ヨハネ16:33「あなたがたは、この世ではなやみがある」です。この学校の少年たちは朝に夕に、このチャペルで、この「難有」の額を前に、聖書の言葉を聴いています。そして少年たちにこの額は語りかけていているのです。「人生には難がある。この難を避けないで、ごまかさないで、逃げ出さないで、あきらめないで、この難に立ち向かっていく時、実は人生は開けてくる。」
さらには「難有」はひっくり返すと「有難」となります。つまりありがたい、ありがとう、すなわち、実は「難有り」が「有り難し」の人生へと開けていくのだと、いうのです。もしも私たちが自分の人生には何の苦しみ、何の悲しみ、戦い、問題、葛藤が起こらず、いつも平和で、いつも静かで、楽しみだけが続く、そんな人生を期待し、また祈り、イメージするとしたら、それは愚かな生き方、愚かな人と呼ばれるでしょう。なぜならそのような人生はあり得ないからです。人生には必ず、困難があり、患難があり、悲しみ、苦しみが待っているからです。
 もしも私たちが経験する悲しみや苦しみや困難に、何の意味も、何の目的も見出すことができなかったら、人生は不可解、人生は不条理、としてしか、もしも人生を受けとめられなかったなら、何と人生は冷酷な運命、冷酷な運命のもとに弄ばせられるのだろうとあきらめをもってしか観られないとしたら、人生はただ辛い、悲しい、虚しい、生きづらいものになってしまいます。
しかし聖書には全く違った見方が示されています。人生は冷酷な運命のいたずらによって支配されているのではない。その背後に、創造主なる神さまの驚くべき、愛が、行き渡っている。愛に富む父の御手がこの悲しみ、この苦しみ、この痛みの背後にも伸ばされていると知る時、それは全く違って見えるのです。

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」  ローマ5:3-5