東埼玉バプテスト教会




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『天、共に在り』



12/4アフガニスタンで現地で活動していた医師の中村哲さんが作業現場に車で向かっている途中、武装集団に右胸を撃たれ、召天されました。
中村さんは1946年福岡生まれ、西南学院中学3年生の時にキリスト信仰を持った信仰者でした。その直後に香住ヵ丘バプテスト教会で宣教師からバプテスマを受けたそうですが、当時の香住ヶ丘教会はまだバプテスマが行われたことがなく、教会にとって中村さんは最初期の生え抜き教会員だったそうです。山上の説教(マタイ5-7章)は丸暗記するほど読みこみました。
また澤地久枝さんとの対談『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(2010岩波書店)によると、内村鑑三『後世への最大遺物』を読んで、「自分の将来を日本のために献げる」という使命感を持つに至りました。そして精神科医師として働いていた時、日本キリスト教海外医療協力会から派遣されてネパール山岳地帯で医療活動を続けてきた岩村昇医師の講演を聞いたのがきっかけで、1984年パキスタン北西部のペシャワール・ミッション病院に同会から派遣されました。以後、パキスタンやアフガニスタンで長年、医療支援を行い、農業用水路の建設や整備など、農地の再生にも携わってきました。
自伝『天、共に在り』(2013NHK出版)のタイトルはマタイ1:23から取られています。「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である。」
早くから中村さんと面識があり、現在、福岡でホームレス支援をしている東八幡キリスト教会牧師の奥田知志先生は次のように書いています。「僕が中村さんから最も影響を受けたことばは『誰もそこへ行かぬから。我々がゆく。誰もしないから我々がする』だった。……この言葉が僕を常に励ましてくれた。」中村さんは他の人が手を付けないことに積極的に取り組んでいきましたが、その時には「天、共に在り」、いつも主の臨在を感じながら働いていかれたことでしょう。
最後に本当の積極的平和主義(安倍首相は残念ながらその本当の意味を理解していません)に立っていた中村さんの言葉を紹介します。「これは平和運動ではない医療の延長なんですよ。医療の延長ということは、どれだけの人間が助かるかということ。その中で結果として争いごとが少ない、治安が良い、麻薬が少ないということが言えるわけで、これが平和への一つの道であるという主張をしたことは少ないと思います。ただ戦をしている暇はないんですよと。戦をするとこういう状態がますます悪くなるんですよと。それにはやっぱり平和なんですよ。それは結果として得られた平和であって、平和を目的に我々はしているわけではない。」(NHKドキュメンタリー『武器ではなく命の水を 医師中村哲とアフガニスタン』)。