東埼玉バプテスト教会




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『ハンディキャップは恵み』



地域や学校の行事等に参加すると、来賓の方々の祝辞を聴かせていただくことがあります。そのお祝い言葉の中で、あたたかい励ましのメッセージが語られることがありますが、そのようなメッセージは直接の当事者ではない私のような一列席者も大いに励まされるものです。心が傷つけられ、存在が引き下げられるような破壊的なメッセージをいろいろと浴びることが多い私たちに、励ましの言葉はあたたかさと強さを与えてくれます。

アメリカのラルフ・シャワーズ氏は、小学生の時に、軽度の知的障害と判定され、これ以上勉強を続けても無駄だと宣言されてしまいました。しかし、彼の両親はこう言って彼を励ましました。「お前は神さまによって造られ、神さまによって命を与えられた、神さまの素敵な作品なんだよ。神さまは、お前が素晴らしい人生を送ると定めておられるのだから、私たちもお前のことを信じているよ」。この励ましの言葉を聞いたラルフ少年は、人一倍努力して、ついには大学を卒業しました。さらに、神学校に進み、牧師となって、各地で優れた働きをしました。

その後、彼は知的障害者の自立支援のための農場建設を始めました。ところが、作業のために、納屋の屋根に上っていた時、高圧電線に触れてしまい、大やけどを負ってしまったのです。命は助かったものの、両腕を切断しなければなりませんでした。
彼は、それでもこの働きをやめませんでした。彼はこう語っています。「私は、この事故が神さまからの恵みであると確信しています。この障害によって、私は他の障害を持っている人々と心を合わせて働くことができますし、心を分かち合い、愛することができるようになったからです」。こうして、自立支援のための農場は、全米各地に建設され、しかも公的な援助を受けなくても経営が成り立っているそうです。

私たちは、それぞれ生まれ育った状況の中で、肉体的、精神的、社会的、霊的に、様々なハンディキャップを追っています。人生の途中で、様々な問題が降りかかっても来ます。それらを「運が悪かった」という一言で片づけることもできますし、「運命を呪う」こともできます。しかし、今のこの状況は、私を愛してやまない神さまからのプレゼント・・・今はとてもそんなふうには思えないけれど・・・それでも、そんな風にとらえることができたなら、私たちの生き方が変わってきます。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
(エレミヤ29:11)