牧師室




牧師 : 木田浩靖
私たち東埼玉バプテスト教会のホームページへ
ようこそお越し下さいました。
私は中学3年生の時に、聖書と教会を通して、イエス・
キリストに出会いました。以来30年以上に渡って、キリス
トによっていただいた新しい命と愛と自由を分かち合うこ
とを、ライフワークに、そして生きる目的にしています。








こんな時だから感謝しよう





週報コラム


牧師室からの祈り



(2021年10月23日)



 「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。」Tテモテ4:4-5


 聖書の神は、人間がこの世界のすべてのものを楽しむことを望んでいます。私たちは何となく聖書に対する先入観や思い込みを持っていて、食べない・飲まない・楽しまない・遊ばない・休まないというような禁欲的な話が聖書の内容なのだろうと思いがちです。しかし食欲も性欲も聖書によれば神が造ったものであり、すべて人が喜んで人生を生きるためのものなのです。ただし、「感謝して受ける」ということが、最も豊かに楽しむための条件なのだと教えられています。


 あなたの部屋には、何かしら誰かからもらったプレゼントがおありでしょう。誕生日に、クリスマスに、何かのお祝いに、自分のことを想って用意してくれたというのがよく判る贈りものは、どこか見えるところに置いておきたくなります。そして目にする度に、受けとったときのあの暖かな気持ちを思い出して、その人への感謝を忘れないようにしようと思うのではないでしょうか。しかし実際には、私たちは次第にその贈り物を見慣れてしまって、その人への感謝を思い出すことが少なくなります。


 神が造られた世界のすべてのものも、それと同じように人間に扱われているのです。本当はそれがそこにあるのは、私たちが神に感謝するため(恐れ怖がるためではなく)、私たちが受け取るため(遠慮して拒否するのではなく)です。私たちに定期的に聖書の言葉と祈りが必要なのは、感謝をするべき相手を自分に思い出させるためなのです。


 今日、今週、神への感謝に心を戻しましょう。私たちには良いものがたくさん差し出されています。一番良い形で楽しみ、喜ぶために、私たちがこれらの贈りものをどのように受けとり、どのように用いるのかを、神は聖書を通して教えようとしておられます。特に最大の贈りもの、それはイエス・キリストご自身、言い換えれば恵みの福音ですが、その受けとり方、用い方も聖書に明示されています(Tコリント15:1-5)。


私にたくさんのものが与えられていることを感謝します。今週、私が、受けとるようにと差し出されているものを、素直に受け取り、豊かに楽しみ、存分に用いることができますように。