『知識には必ず愛を』
コリント教会にはその深い知識のゆえに、あまり知識のない人を軽んじ、「こんな簡単なことも知らないのか解らないのか」と横柄な態度をとる人たちがいたようです。 これは決して他人事でなく、私たちも陥りやすい態度ではないでしょうか。私たちが何かを知ると、何かを学ぶと、何だか自分が偉くなったような気がします。そしてほんの最近それを知ったばかりなのに、それをまだ知らない人のことを、「何だ、そんなことも知らないのか」とバカにしてしまいがちです。 しかし知識がたくさんあることと、人格が立派であることとは全く無関係です。たくさんのことを知っていることと人格者とは無関係です。知識を得ると偉くなったような気になるのは、それは錯覚です。そしてそれが高ぶりなのです。だからパウロはTコリント8:1「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」と教えました。 同志社大学の創立者・新島襄は卒業式で卒業生にこう語って送り出していました。 「諸君はこの学舎でたくさんの知識を身につけました。これからここを出てその知識を使う時です。しかしその知識を使う時には気を付けてほしい。知識には必ず愛を加えてほしい」。 新島襄は知識が持つ力と素晴らしさだけではなく、それに伴う危険性をよくわきまえていました。 もちろんパウロもそのことを知っていました。Tコリント13:2「たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。」。 ペテロもそのことを知っていました。Uペテロ1:5-7「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。」 私たちも知識を正しく用いていきましょう。知識はそれだけでは無価値などころか、有害になることさえあります。ですから私たちは知識に愛を、そして節制を加えて、その知識を活用していきましょう。 |